市田忠義副委員長の訴えから(2)   

 日本共産党の市田忠義副委員長(参院議員)は2月2日、東京都・清瀬市で開かれた日本共産党演説会で、1時間にわたって訴えました。統一地方選挙と参院選挙の意義、共産党清瀬市議団の役割、安倍政治の実態と日本共産党の立場、日本共産党員として生きる思いなどを語り、大きな感動をよびました。
 このうち、(1)統一地方選挙と参院選挙の意義、党清瀬市議団の役割(2)日本共産党員として生きる思い―を2回に分けて紹介します。今回は2回目。市田さんの訴えに感動して、日本共産党員として生きる決意をしてくださった方がいました。

戦後かつてない危険な情勢
 いま日本は、戦後かつてない歴史的な大激動のさなかにあると思うんです。一方では、戦後最悪の安倍内閣によって、憲法9条まで壊されようとする。戦後の保守政治が曲がりなりにも守ってきた、海外での戦争はしない、この大原則まで投げ捨てる、戦後かつてない危険な情勢が進展しています。これを直視する必要があると思うんです。許せば軍国主義、ファシズムへの道になります。

国民一人一人が主権者として立ち上がる
 同時に、この面だけ見ないで、他方で、この動きに対して戦後かつてない新しい市民運動がほうはいとしてわき起こっています。すなわち、国民一人ひとりが主権者として自分の頭で考え、自分の言葉で語り、連帯して立ち上がる。私たちはこれを「市民革命的な動き」と評しましたが、こういう新しい市民運動がほうはいとしてわき起こり、豊かに発展している。

市民と野党の共闘が発展

 そしてこの運動に背中をおされて、日本共産党自身も自己脱皮しました。他の野党も変わりました。市民と野党の共闘が発展して日本の政治史の上で初めて全国的規模での選挙協力が実現しました。その最初の挑戦の舞台となった2016年の参議院選挙で、32の1人区すべてで1本化して、11選挙区で自民党を負かす成果をあげました。残念ながら総選挙では後退しましたが、「日本共産党を除く」という壁が再構築されたわけではありません。

一日一日が新しい歴史をつくる
共産党員として生きる幸せ
 私たちは、いまその一日一日が新しい歴史をつくる、かつて経験したことのない未踏の領域に足を踏み入れつつあります。未踏の領域ですから、そこには新しい困難や試練があるでしょう。模索や試行錯誤もあるでしょう。しかしそこには、歴史をつくる開拓者としてのロマンがあり、わくわくするような喜びがあるんじゃないでしょうか。
 こんな時代に日本共産党員として、あるいは日本共産党の支持者として生き、たたかえることほど幸せなことはないと思います。

「共産党排除の壁」は崩れた
 なぜこんなことをいうのか。私たちは長い間、「日本共産党を除く」という厚い壁に阻まれてきました。5年前まで私は13年間、共産党の書記局長をやっていました。在任期間中、勝利の記者会見を一度もやったことはありませんでした。敗北とおわびの会見ばかりでした。2大政党による「政権選択論」という最強・最悪の反共シフトが本格的に敷かれ始めたのが2000年代の初めでした。
 正論を吐いても議席や得票になかなか結びつかない。それでも、「真理は必ず多数派になる」「道理ある主張は必ず多くの国民の心をやがてとらえる」と、お互いに確信を失わずに不屈に励まし合いながら頑張り抜いた。支持者のみなさんも、入れても入れても当選しないことはわかっていながら、浮気をしないで共産党をずうっと支えてくださった。
 共産党排除の路線を決めた社会党と公明党との合意(1980年)から、数えれば実に苦節30数年です。ようやくその苦労が実った。2016年の参議院選挙、その直前の東京都議選から、「第3の躍進」が始まりました。「日本共産党を除く壁」は、みなさん、政治戦線の上では崩れたではありませんか。

同僚や先輩の思いを胸に
 こういう時代を見ずに死んでいった同僚や先輩が、たくさんいるんです。私はそういう人たちの思いも胸に、頑張らなければならないと決意しています。私たちは、頑張りがすぐ成果に結びつかない時にも力を尽くす政党であります。いまは違います。頑張れば安倍政権を倒して、野党連合政権への展望も切りひらける。こんなときに頑張らなくていつ頑張るのかと、そういい続けてきました。

80歳の国会議員として迎える党創立100周年
こんな光栄ある任務はない
 こんな演説をしていましたから、私自身、内外に引退を表明していたのに、「もう一期やってほしい」といわれて、断ることができませんでした。私、任期満了時には80歳になります。しかし考えてみると、今年は党創立97周年です。ちょうど任期満了の年は創立100周年なんです。どこの部署で活動していても共産党員はみな同じですが、階級闘争の最前線といわれる国会の場で、現役の国会議員として創立100周年を迎えることができる。こんな光栄ある任務はない。体の続くかぎり、頑張り続けたいと思います。

羅針盤をもった生き方 宮本顕治の手紙から
 最後に、無期懲役の判決を受けていた宮本顕治が、獄中から宮本百合子を励ます手紙に次のように綴りました。
 「人生を漂流しているのでなく、確乎として羅針盤の示す方向へ航海しているということは、それにどんな苦労が伴おうと、確かに生きるに甲斐ある幸福だね。漂流の無気力な彷徨(ほうこう)は、生きるというに価いしない。たとい風波のために櫓(ろ)を失い、計器を流されても、尚天測によってでも航海する者は祝福されたる者哉。そして生活の香油(こうゆ)も、そういう航海者にのみ恵まれる産物であって、その輝きによって、生存は動物でなく人間というに値する生彩と栄誉、詩と真実に満たされてくるものだね」(『宮本顕治獄中からの手紙-百合子への十二年』(下)新日本出版社)
 1944年10月10日付、顕治35歳のときでした。

入党の初心

 人間は、誰しも新しいことを始めるには勇気がいります。私にできるだろうかという不安があるかもしれません。現在、日本共産党で活動している多くの仲間も、私も含め、不安がありながらも、そのことによってたとえ風波が強くなろうと、羅針盤をもった生き方をしようと真剣に考え、入党を決めた初心がありました。
 大海原を漂流して歩くような人生でいいんだろうか。一回しか送れない人生、たとえ風波が強くなっても、羅針盤をもった生き方をしよう。それは自分の幸せとともにみんなの幸せを考えたい。たとえ小さい力であっても、社会の発展のために役立ちたい。そうした自分の思いに正直に向き合って生きていこう。そして、自分も社会も変えていこうという決意。これがわれわれの入党の初心でした。

自分の幸せと社会の進歩を重ねて生きる
 いま日本では、市民と野党の共闘で、自民党政治を終わらせ野党連合政権に挑戦する、歴史的時代を迎えている。世界では核兵器禁止条約という人類史の画期をなす変化が進行し、アメリカや旧ソ連などの大国が支配した世界から、多数の国々が主人公となって国際政治を動かしています。こういう激動の時代に、歴史をつくり、未来をひらく生き方に、足を踏み出そうじゃありませんか。自分の幸せと社会の進歩を重ねて生きる。このもっとも生きがいのある人生を送り、次の世代の人々に歴史をつなごうじゃありませんか。(おわり)


感動をよんだ市田さんの訴え
b0190576_22495388.jpg
ロビーで参加者と交歓
b0190576_22500373.jpg

武蔵野台地の夜明け
b0190576_22500818.jpg
b0190576_22511216.jpg
b0190576_22511523.jpg




by hara-noriko | 2019-02-08 22:54 | 活動日誌 | Comments(0)

<< 児童虐待をなくしたい 市田忠義副委員長の訴えから(1) >>