戦争体験を伝える
2020年 08月 17日
安倍首相の式辞から「歴史に向き合う」が消える
今年は、終戦から75年。節目の年です。にもかかわらず、戦没者追悼式での安倍首相の式辞からは、「歴史に向き合う」という言葉が消えました。黒い雨訴訟で控訴し、核兵器禁止条約にも背を向ける…。歴史に向き合う姿勢があったら、こんなことにはならないはずです。さらに、自衛隊の海外派兵を進めるために使ってきた、「積極的平和主義」という言葉を初めて式辞で使いました。また、文科大臣をはじめ4閣僚が靖国神社を参拝し、安倍首相は玉串料奉納。…本当にこの政権は変えないといけないと強く思います。
「しんぶん赤旗」に石井孫三郎さんの体験が
ソ連によってシベリアに抑留され…
8月15日付の「しんぶん赤旗」1面に、証言・戦争の記事が。東久留米市在住の石井孫三郎さんが登場しています。石井さんは現在94歳。1945年5月にソ連との国境の町にあった部隊に召集され、ソ連軍戦車を落とす壕を掘ります。8月9日にはソ連軍が「満州」(中国東北部)に侵攻。天皇が敗戦を宣言した翌日16日に戦闘になり、機関銃の弾運びを担当します。21日に戦争が終わったことを告げられます。その後、降伏し、シベリアに抑留され、極寒のなか強制労働をさせられ、病気にもなります。46年2月には中国に引き渡され、さらに炭鉱で働かされます。その後、60年になって18年ぶりに日本に帰国するのです。戦争は終わっているのに、ずっと帰れませんでした。これが歴史の事実なのです。
「生き延びた命をみんなのために役立てたい」
共産党員として歩む
その後、石井さんは、「生き延びた命をみんなのために役立てたい」と共産党員になり、歩んでこられました。とてもスマートな石井さん。過酷ななかよく生き抜いてこられたな、と…。いまも、何度も大病を患いながら、懸命に生きておられます。「赤旗の1面に出ていましたね。読みました」と電話をしたら、「まさか、あんなに大きく載るとは自分もびっくりしている。恐縮してますよ」と。「あらためて、多くの人たちに知ってほしいと思いました」と話すと、「いまはコロナでいっさい部屋から出ないように気をつけている。収まったら、また機会があれば話していきたいと思っている」と。
戦争を体験された方たちから学ぶ
安心して生きられる政治を一日も早く
戦争を体験された方たちの話に学び、伝えていく、そのとりくみをいままで以上に強める必要があると強く思っています。そして、たいへんななか生き抜いてこられた方たちが安心できる、未来を生きる子どもたちが希望をもてる政治を一日も早く実現したい。心から思います。
宮本徹衆院議員(中央)と私も参加して平和を訴えました
by hara-noriko | 2020-08-17 01:33 | 日記 | Comments(0)