地域の戦争 陸軍北多摩通信所
2023年 06月 05日
地域の戦争の歴史はどうだったか
戦争か平和か…。岐路に立っている今、地域から平和を考えていくことがますます大事になっていると思います。統一地方選のときに、この地域の戦争の歴史はどうだったか、ほんの一端ですがスピーチしました。
東京大空襲につながる空襲
私たちの地域から始まった
国内最大の軍用機エンジン製造工場、中島飛行機武蔵野製作所が武蔵野町(現武蔵野市)にあり、田無には関連工場である中島航空金属田無製造所がありました。その田無製造所に続く引き込み線が東久留米駅から出ていたことなどから、アメリカの戦略爆撃機B-29による東京への本格的な攻撃は、真っ先に北多摩地域がターゲットになりました。東京大空襲につながる空襲は、私たちの地域から始まったのです。
清瀬でも病院が攻撃された
二度と戦争の犠牲にならないために
東久留米市でも何度も空襲があり、東久留米の人も含め、中島飛行機では220人以上が亡くなっています。清瀬市でも下宿の清瀬病院が攻撃され、女性や子どもたちが亡くなっています。ひとたび戦争になれば、こうやって市民が犠牲になっていくのです。改めて地域のことを知らなければ。水と緑豊かで、よい環境のこの地域が、二度と戦争の犠牲になるような状況にしないために、戦争の足跡をたどっていきたいと思っています。
東久留米市前沢
陸軍北多摩通信所跡を歩く
5月20日、東久留米市前沢にある、陸軍北多摩通信所跡を、かもしだ芳美市議と歩きました。1933年(昭和8年)、電波状況が良い地域だということで、この場所に外国無線の傍受、暗号解読を目的として、参謀本部の極秘の通信施設として設置されました。B-29の動きを監視し、広島に原爆を落としたB-29の動向もつかんでいたといいますが、これらは人々を守るために何ら生かされることはなかったのです。そして、終戦と同時に文書はすべて処分し、受信室などは取り壊され、闇に消されました。
当時の官舎が残っている
戦争の歴史を学び語り継ぐ
しかし、現在も、閑静な住宅街のなかに、当時軍人が住んでいた官舎の一部が残され、路地はほぼ当時のまま残っているのです。『東久留米の戦争遺跡』(2019年東久留米市教育委員会発行)を見ながら歩いてみて、とても驚きました。防火水槽の跡が残る公園もあります。これらを保存し、戦争の歴史を学び、語り継いでいくことが必要ではないかと、強く思いました。
右は、かもしだ芳美市議




by hara-noriko | 2023-06-05 02:14 | 地域の戦争 | Comments(0)