自由学園を視察させていただきました
2023年 06月 08日
3人の市議と一緒に
5月30日、東久留米市学園町にある、自由学園を視察させていただきました。日本共産党東久留米市議団の永田まさ子市議、北村りゅうた市議、かもしだ芳美市議も一緒に参加しました。
女子部の校舎とそのエリア
新たに東京都有形文化財に指定されて
昨年、女子部の校舎とそのエリアが東京都有形文化財に新指定されました。実際に見せていただき、その意義を学びたい。併せて、学徒動員で亡くなられた方のことを、自由学園の学生さんが本にして出版したことを報道で知り、慰霊碑もたずね、戦争についても学びたい…。そういう思いでうかがいました。
明日館の福田竜館長さん
「校舎とその土地を含めて指定されたことにも大切な意義が」
明日館の福田竜館長さんに詳しく説明していただきながら、学園の校舎を見学。今回指定された校舎だけでなく、初等部も、男子部も、東京都の歴史的建造物に指定されていて、90年以上にわたり大切にされてきていることに感動しました。初等部では、平屋建ての校舎のそばで木登りをする子どもたちの姿に、校舎というのはそのまわりの環境とセットだと思いました。館長さんは、「今回指定された女子部は、校舎とその土地を含めて指定されたことにも大切な意義がある」とおっしゃっていましたが、なるほどと思いました。食堂や庭が真ん中にあるということも素敵だなと思いました。
戦争で命を落とされた方の慰霊碑をたずねる
資料室の主任研究員、村上民さんから説明いただいて
慰霊碑は、3つありました。そのうちのふたつは、図書館の横にあります。ここで、資料室の主任研究員、村上民さんから説明をしていただきました。
その慰霊碑のなかには、戦争中、中島飛行機武蔵野製作所に勤労動員されていた自由学園の学生だった川田文子さんの名前が刻まれています。19歳で亡くなった川田さんのことを、現在の自由学園最高学部の19歳の学生2人(姉妹)が、「探求」という授業のなかで研究し、漫画と文章にまとめたことを話してくださいました。昨年出版された、『川田文子さんのこと』という本です。
自由学園の校舎も戦争のなかで「学校工場」になったこと、そして、戦争が終わってまた校舎に戻り、その校舎で今も子どもたちが過ごしていることを教えてくださいました。自由学園からも川田文子さんのように軍需工場に勤労動員されたり、出征して命を落とした男子学生もいます。そして、学校自体も「学校工場」にもなった…。そういう歴史を経た校舎の持つ重い意味を深く感じ取ることができました。帰ってきてから、「戦時下における自由学園の教育(2)戦時下『生活即教育』の諸相」(村上民さんの論文)をインターネットで見つけて読み、さらに考えさせられています。
2人の学生がまとめた『川田文子さんのこと』
「戦争はもう絶対にあってはならない」と
視察の最後に、『川田文子さんのこと』を購入しました。自由学園の学生だった川田文子さんは1944年当時、中島飛行機武蔵野製作所に勤労動員されていました。そして、12月3日、指定された防空壕に避難していたところを直撃弾により圧死しました。19歳でした。このことを知った現在の19歳の学生さん2人が、調べて、漫画と文章にまとめたのです。防空壕に入る前にトイレに寄った友人の千鶴子さんたちは、指定の防空壕に間に合わず近くの壕に入った。先に、指定の防空壕に入った文子さんは亡くなった…。この理不尽な状況を、現在の学生が自分に引き寄せてとらえて表現していて、胸に迫ります。漫画の最後は、「戦争はもう絶対にあってはならないし、そうなることを決して、皆で許してはならないと切に思う」という言葉でしめくくられています。そして、さらに、これは物語ではない、と書かれています。本当にそうだと胸にズシリときます。ぜひ、多くの方に手に取ってほしいです。
とても大切な視察に
とても大切な視察になりました。
視察には、学園長室の方にもご同行いただき、また総務部長さんからもご挨拶をいただきました。本当にありがとうございました。
北村りゅうた市議、永田まさ子市議
by hara-noriko | 2023-06-08 01:55 | 地域の戦争 | Comments(0)