平和へ 私の3つの決意   

終戦から79年の8月15日
共産党清瀬市議団が終戦記念日宣伝


 終戦から79年の8月15日、日本共産党清瀬市議団が恒例の「終戦記念日街頭宣伝」を行いました。私も、宮本徹衆院議員と一緒に参加してスピーチしました。
 佐々木あつ子市議は、特攻隊として出撃する前に終戦となった父親のことを語りました。穴見れいな市議は、原水爆禁止世界大会に参加して、被爆2世として新たな決意を語りました。原田ひろみ市議は、図書館をまもる運動と平和を重ね合わせて訴えました。宮本徹衆院議員は、岸田首相の政権投げ出しも含めてスピーチ。ゆきづまる自民党政治を終わらせて、政治の転換に全力を尽くす決意を表明しました。
 以下は、私のスピーチ大要です。

【私のスピーチ】

戦争は二度と起こしてはならない
この決意を新たにしたい


 みなさん、こんにちは。日本共産党都議会議員の原のり子です。
 79年前の8月6日には広島に、9日は長崎に原爆が落とされ、きょう15日に終戦となりました。戦争は二度と起こしてはいけない、その思いをみなさんと一緒に新たにしたいと思います。

戦争の事実を知らせていく大切さ
大人の責任としてやるべきこと


 さきほど佐々木あつ子市議が、テレビを見ていたら終戦記念日を知らないという若者がたくさんいた、という報道のことを話されました。私もたぶん同じ報道を見ていたと思います。「なんで戦争が始まったか知っていますか」と聞かれても答えられない若者たちを見ていて、けっして若者たちを責めることはできないな、と改めて思いました。佐々木市議も「大人の責任だ」とおっしゃっていました。
 振り返ってみると、教科書などでも、日本軍「慰安婦」といわれる戦時下に性奴隷にさせられた方々のことは記述されなくなりました。沖縄戦についても、集団自決という悲劇が起こり、そこに軍が関与した事実が削除されたときもありました。沖縄戦について積極的に書かない状況になっています。いまの若い人たちは、事実を知ることすらなかなかできない状況なのです。

終戦記念日って何なのか
若い人たちと交流したい


 それに加えて、戦争を体験された方々が年々減っています。戦争の悲劇を教えてくれる方たちがいなくなってしまう。そういうなかで若者たちは事実を実感をもって学ぶ機会が本当に少ないわけです。
 ですから私は、改めて終戦記念日って何なのかということを若い人たちと一緒に話し合い交流し合う機会をたくさんもちたいと思います。

終戦記念日
日本軍国主義による植民地支配と侵略戦争が敗北した日


 終戦記念日は、単に戦争が終わったということではなくて、日本軍国主義による植民地支配と侵略戦争が敗北した日なんだということを確認する、二度と政府の行為によって再び戦争を起こしてはならないという誓いを新たにする、そういう日なんだということをみなさんと一緒に共有したいと思います。

平和と民主主義を貫いて102年
日本共産党の歴史に立って平和を守る

 過去の反省に日本が立てば、憲法9条を生かして東アジアの平和のために日本が取り組んでいく、このことこそとるべき道、進むべき道なんだ、と私たち日本共産党は提案をしています。
 日本共産党は、平和と民主主義を貫いて102年の歴史をもっています。その歴史に立ち、絶対に戦争は起こさせない決意を新たにしたいと思います。垣根を超えて力を合わせて、平和を守り育てていきましょう。心から呼びかけたいと思います。

私がうかがった戦争体験や被爆体験
もっともっと話していきたい


 今年の終戦記念日を迎えるにあたって、自分で決意したことがあります。
 いままでは、戦争を体験された方や被爆された方々のお話をたくさん聞かせていただいてきました。しかし、自分ではあまり話しませんでした。私が話すと事実が薄まってしまうのではないか、となんとなく思って、なかなか口にすることができず、ブログなどではちょっと文章にすることもありましたが、控えていたというのが実際です。
 でも、今年79年、来年には80年を迎えるにあたって、自分が学んできたことを、未熟な自分であっても、もっともっと話していこうと決意しました。

被爆者の児玉三智子さん
峠三吉さんの詩にある「こどもをかえせ」は「私のこと」と

 昨年、被爆者の児玉三智子さんがお話ししてくださったことを今でも思い出し、これはどうしても伝えたいと思っていることがあります。それは、詩人・峠三吉さんの「にんげんをかえせ」という詩について児玉さんが、「これは私の詩なんだ」と話してくれた。その「にんげんをかえせ」の詩のなかにある「こどもをかえせ」という言葉について、「これはまさに私のことだ」と話してくださったことを今でも思い出します。

児玉さんは7歳のとき広島で被爆
元気に育った娘さんを亡くして


 児玉さんは7歳のときに広島で被爆しました。日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の事務局次長をされています。
 最初に結婚しようと約束していた相手の親戚から、家系に被爆者をいれるわけにはいかないといわれて結婚できず、そのあと、被爆しているかしていないかは関係ない、結婚しよう、といってくれた人と結婚した。子どもができたときに、その子どもを産むかどうか、とても悩んだ。悩んだけれども、2人でがんばって育てようと決めて出産した。
 生まれた娘さんはとっても元気で、病気一つなく育った。でも40代になったときに、がんになってしまった。娘さんは、なぜがんになったのか信じられない、こんなに元気だったのに、と思っていくつもの病院にいったそうです。そのなかで、家族や親せきに被爆された方はいますか、と聞かれたといっていたそうです。娘さんは泣きながら、お母さんに、お母さんのせいじゃないからね、といって、40代で亡くなられてしまわれた。
 だから、「こどもをかえせ」は私の思いなんだ、と児玉さんが話してくださいました。

話を聞いた私が未熟であっても
自分が思ったことを多くの人に伝える


 「にんげんをかえせ」という詩をこんなに深くとらえさせてもらったのは、本当に初めてでした。こうした被爆者の声を子どもたちに、若い世代にもっともっと伝えていく。お話を聞いた自分が未熟であっても、自分が思ったことを多くの人に伝えていく。そのことが大事なんだと学ばされました。

来年は戦争が終わって80年
私の3つの決意


 来年は戦争が終わって80年。その年を迎えるにあたって3つのことを決意しています。

核兵器禁止条約
日本が批准するように力を尽くす


 痛苦の経験をされたみなさんがつくりだしてくださった、命がけでつくりだした核兵器禁止条約を日本がちゃんと批准する。80年を迎えるまでにそのことを実現する。そのために力を尽くしたい、というのが1つめです。

非核平和都市宣言
首都東京で実現させたい


 東京都はいまだに非核平和都市宣言をおこなっていません。全国の道府県のなかでも、ほとんどのところがやっているのに、東京都はやっていない。小池知事はまったくやる気がないのですけれども、この宣言を80年を迎える今こそ、非核平和都市宣言を首都東京からあげよう。そのために力を尽くす。これが2つ目めです。

憲法9条を守り抜く
平和を守ることに垣根はない


 そして3つ目には、憲法9条を守り抜く。平和を守ることに垣根はありません。思想・信条・立場の違いを超えて、みんなで力を合わせて、絶対に戦争にしない。そのことをみなさんと一緒にやっていきたいと思います。

 私の決意を申し上げて、この場でのスピーチとしたいと思います。ありがとうございました。

清瀬市議団、宮本徹衆院議員と一緒に訴えました
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宮本徹衆院議員(左)
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佐々木あつ子市議
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穴見れいな市議
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原田ひろみ市議
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原のり子
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by hara-noriko | 2024-08-16 20:29 | 活動日誌 | Comments(0)

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