私が日本共産党に入ったのは… 北村のり子市議   

東久留米市議 北村のり子さん
父親の体験をもとに日本共産党の値打ち訴える


 毎週土曜日夕方の定例宣伝(1月24日)。以前は、故・北村りゅうた市議、地域の後援会のみなさんと一緒におこなってきましたが、この1月から、北村のり子新市議がりゅうたさんを引き継いで参加してくれるようになりました。その宣伝で北村のり子市議は、父親の戦争体験をもとに日本共産党の値打ち、自分が共産党に入った理由を熱く語り、胸に迫ります。総選挙も始まり、どういう政党を選べばいのちと暮らしが守られるのかが問われているいま、ぜひ、多くの方に読んでいただければと思います。主な内容を紹介します。

「しんぶん赤旗」を読んでいた父
そのわけがだんだん分るようになりました


 私は、昨年12月の市議補選(定数2)でみなさんに温かい力で押し上げていただいた日本共産党市議、北村のり子です。戦争についての自分の思いを話させていただきます。
 私がなぜ日本共産党に入ったのか。それは父の体験がもとになっています。
 父は、私が幼いころから、「しんぶん赤旗」日曜版を読んでいました。私にとっては身近な新聞でした。だからといって、中身をちゃんと理解していたかというと、そういうわけではありません。父は共産党員ではありませんでしたから。でも、なぜ読んでいたのか、それはだんだんと分かるようになりました。

父は穏やかな人でした
政治のことになると自分の思いを話していました


 父はテレビで国会中継を見ると、いつも自民党に対して怒っていました。戦争を起こしたのに何の責任も取ろうとしない天皇に対しても怒っていました。多くの若者が、戦争に行ったのになぜ責任を取らないのだ、そのことを怒っていました。父は普段はとても穏やかな人でしたが、政治のことになると熱心にテレビを見て自分の思いを話していました。

少年飛行兵の学校へ
学友が特攻隊として死んでいました


 私の父は小さいときに両親を亡くし、親戚の家で育てられました。かわいがられていたんだと思います。しかし、小学校を出てから進学することはできず、近くの鋳物工場で働いていたそうです。戦争は父にとってはチャンスでした。勉強したい。学問を知りたい。英語も学びたい。少年飛行兵の学校に行けば勉強ができる。物事を知ることができる。そのことを知りました。それで少年飛行兵の学校に合格し、教育を受けることになりました。

戦争が終わるちょっと前
20歳の若者が命を散らしていった


 昨年、父の本棚からその名簿がたまたま出てきました。戦争がおわってからずいぶんたってからの名簿でしたけれども、今ご存命の方、それから亡くなった方、戦時中に亡くなった方、さまざまな状況が分かってきました。私にとってショックだったのは、戦争が1945年8月15日に終わるちょっと前、4月、5月、6月に大勢の父の学友が鹿児島県の知覧特攻基地から飛び立って、沖縄上空で亡くなっていたという事実です。
 父は飛行兵になりたくて飛行学校に入学しましたが、目が悪いために飛行兵になれずに、通信兵になったことが悔しくて、そのときは大泣きしたそうです。それでも父の名簿を見ると、飛行兵になった方たちは多分父と同じ20歳ぐらいの若者でしょう。なかには8月15日、知覧の基地で自決した方も2名、名簿に載っていました。まだ20歳そこそこの若者が、自分の可能性を求めて上級学校に行き、そこで教育を受けると同時に、自分が死ぬことが正しいのだと教わり、そして命を散らしていったのです。

父がアンダーラインに込めた意味
亡くなる2日前に知ったその思い


 私はその名簿を見て、胸が苦しくなると同時に、そこに何本かアンダーラインが引いてあることがわかりました。アンダーラインは多分、父の友人だと思います。もうすでに死んでしまった、戦時中死んでしまった友人の上に、父はたぶん、静かにアンダーラインを引いて、その死を自分として受け止めていたんだと思います。
 そのときの怒り、そのときの悲しみが、父を「しんぶん赤旗」に近づけたのでしょう。戦争に反対を続けていた共産党。そのことに対して父は共感をもち、そしてどういう党なんだろう、そう思って新聞を読み続けていたのだと思います。
 この話は、父ががんで亡くなる2日前、病院のベッドで私は聞きました。このまま父のことを何も知らずに、父がいわないままいかせることは、娘として違うのではないか。そう思ってあえて聞き取りました。父の悲しさ、国会中継を聞きながらわき起こる自民党への怒りの理由がわかりました。

父の怒りを受け止めて 息子の遺志を受け継いで
私も日本共産党に入党し、市議に当選しました


 私はその怒りを受け止めて、その後も暮らしました。すでに組合活動など自分なりに正しいと思うことをやっていましたが、自分が日本共産党に入ることはあまりにも思い切った選択のように思えて、入ることはせず、ただただ応援だけをしていました。
 しかし、息子、北村りゅうたが東日本大震災のボランティアとして日本共産党の方と一緒に被災地にいき、そのときの日本共産党の方々の行為を見て日本共産党に入り、その後、東久留米の市議会議員となりました。私は、息子を応援するためにも、そして自民党への怒りを隠さなかった父の気持ちも受け継ぐつもりで、日本共産党に入りました。息子は昨年1月に急逝し、12月の市議補選で私が遺志を引き継ぎました。

平和を訴え続ける日本共産党
そのすばらしさを忘れるわけにはいきません

 戦争をしない。平和を最後まで訴え続ける日本共産党。さまざまな政党が自分の正義だと思うことを訴えているのだと思います。これが正しいと思って多分どの政党もいっているんだと思います。でも、いちばんの幸せのもとは戦争をしないことではないでしょうか。どんな知恵をめぐらし、どんなに頭のいい人が考えた政策であろうとも、戦争したらやはり人は死ぬんです。そう思えば、日本共産党が戦争しない、平和を貫く党である、そのことのすばらしさを忘れるわけにはいきません。

平和こそ暮らしの根底
戦争放棄の憲法を守る日本共産党


 日本も世界も不安定ないま、まずは戦争しないこと、それをいちばんに伝えている日本共産党。これこそが暮らしの根底ではないでしょうか。そこから私たちの暮らしは始まる。そこから私たちの幸せは築かれる。まずはそこに立つことが日本共産党の基本にある。そう思っています。
 戦争に動員され、巻き込まれて多くの人間が亡くなり、自決し、小さい子どもが殺された。そんなことがあっていいわけがありません。それを止めるために戦争を放棄する、そういう憲法が日本にはあるんです。その憲法を守ること、それをいちばん根本とする、日本の立つところとする。それが日本共産党です。

大義のない総選挙
高市首相の視界に国民の幸せは入っているのか


 今度の解散総選挙には大義がない、といわれています。なぜ今選挙をしなければならないのか。高市首相は、首相としてみんなに認めてもらえるかどうかを知りたい、といいます。そんなの承認欲求じゃないですか。なんで承認欲求に日本国中を巻き込んでお金をかけなきゃいけないんですか。自分が信じて、みんなが幸せになる。そのことを求めて、そして話し合って、そしていちばん良いと思うことを実行するのが首相の仕事であるはずです。私でいいんですか、といってお金を何百億円も使うことが首相の仕事ですか。そうじゃないでしょ。高市首相のなかに、私たち国民、私たち市民、私たち普通の人たちの幸せが視界に入っているのかどうか、疑問です。
 日本共産党は、中国の共産党とも違うし、ソ連の共産党とも違う。日本共産党は日本の共産党。その党が何を訴えているのか、それをぜひみなさん知ってほしい。

思いを語る北村のり子市議
右は原のり子
私が日本共産党に入ったのは… 北村のり子市議_b0190576_14480123.jpg




by hara-noriko | 2026-01-29 14:51 | 活動日誌 | Comments(0)

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