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沖縄ツアー その4   

沖縄戦を風化させない
 沖縄県・平和祈念公園にも行きました。たいへんな広さで、すべてを見ることはできませんでしたが、沖縄戦を風化させず、正しく後世に引き継いでいきたい、という沖縄の方たちの強い意志を感じました。平和の礎(いしじ)は、沖縄戦で亡くなった人たちが分け隔てなく刻銘されています。また訪れる機会があったら、子どもたちの平和学習もできる、資料館をゆっくり見学したいと思います。(写真1・2・3・4)
「不屈館」と沖縄の心
 私にとって、今回のツアーの初日に、「不屈館」(写真5)に行けたことが、実り多い3日間になったポイントだったと思います。入館時間ぎりぎりのところでかけこんだ24人に、館長さんやスタッフの方があたたかく受け入れてくださり、説明をしてくださいました。
 私は、瀬長亀次郎さんの資料館、という認識でいましたが、瀬長さんの生き方はもちろんですが、沖縄の人たちの祖国復帰への不屈のとりくみ、そして、それが現在につながっていることがよくわかる資料館でした。「不屈」「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」との瀬長さんの直筆でのメッセージ。「屈しない」を合言葉にしたオール沖縄のとりくみ。…沖縄の人たちのねばりづよさは、たいへんな歴史のなかで培われてきたんですね。それでいて、おおらかで。尊敬と感動でいっぱいです。
手作りツアーに心から感謝
 今回、夫と三女(18歳)と一緒に、思い切って参加し、そして、平和のとりくみをすすめている市民のみなさんと交流しながら学べたこと、本当によかったです。企画から運営まで手作りのツアー。中心になってくださった方々に心から感謝します。まだまだ、いろいろな経験をしましたが、このへんでツアー報告は終わりたいと思います。

(写真1)平和祈念公園の式典広場
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(写真2)平和の礎(いしじ)をバックに篠原市議と
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(写真3)平和の礎のなかを通ってきた最後にある平和の広場
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(写真4)平和の広場から見える海
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(写真5)「不屈館」で詳しい説明を聞きました
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沖縄ツアー その1
沖縄ツアー その2
沖縄ツアー その3

by hara-noriko | 2016-04-15 21:43 | 活動日誌 | Comments(0)

沖縄ツアー その3   

ひめゆり平和祈念資料館へ
 最終日(4月6日)は、まず、ひめゆり平和祈念資料館へ(写真1・2・3)。資料館の概要を説明してくださった職員は若い女性。高齢になっている学徒隊だった方たちから聞き取りをしながら、一歩一歩引き継ぐ努力をしていることをお話しされました。
 資料館は、戦後43年がたった1989年6月23日に設立しています。それまで長い間、戦争体験を話すことができなかった方たちが、亡くなってしまった友人たちのことや沖縄戦の事実がこのままでは消えてしまう、と語り出したそうです。学徒隊だった方たちの意見で資料館の展示は行われているとのこと。だからこそ、胸に迫ります。一人ひとりが証言している様子や米軍が撮影した写真やビデオが上映されています。また、亡くなった方たちの写真も飾られています。
戦争がまた起きないように
 学徒隊だった語り部の方が来て下さり、お話をしてくださいました。一緒にいた友人の写真を教えてくださり、「いつもこの写真に、○○ちゃん今日も来たよ、戦争がまた起きたりしないように今日も話すからね、とまず声をかけるんですよ」と。
 実は、そのあとのお話しを聞いていたのに、もう気持ちがいっぱいいっぱいで…。断片的ですが…。
言葉の重み
 <爆音がして目をおさえて(目の玉が飛び出ないように)、しゃがんだら一人はぐれていた。友達もほかの人もみんな死んでしまった。それでも、最後まで軍国少女だった。教育というのは本当にこわい。教育によってそうなってしまう、教育が大事…。>
 そして最後の言葉を忘れられません。「みなさん、命を大事にしてくださいね」。その言葉の重さが胸にズシリと…。
先生たちの苦悩、生徒たちの思い
 今、資料館では、戦後70年特別展「ひめゆり学徒隊の引率教師たち」が開催されています。そこには、こう書いてあります。
 あの場合はしかたなかったと
 いくら言い訳をしてみても
 それは言い訳にはならない
 胸がしめつけられます。先生たちの苦悩、生徒たちの思い…とてもすべてを見ることができず…。展示ガイドブックを買ってきて、今日ようやくページを開いています。つらいけれど、教師に焦点をあてた展示というのは、歴史の事実を学ぶうえでとても大事だと思いました。語り部の方の「教育が大事」ということばが何度も思い返されます。
 戦争へという流れが心配される今、本当に多くの方にみてほしいと思いました。
喜屋武岬へ
 その後、喜屋武岬(きやんみさき)へ(写真4)。沖縄最南端、沖縄戦で米軍に追い詰められ、自決したという…。その事実を決して忘れてはいけないと思いました。

(写真1)ひめゆり平和祈念資料館の入り口で
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(写真2)ひめゆりの塔の入り口にある案内
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(写真3)ひめゆりの塔で
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(写真4)喜屋武岬
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沖縄ツアー その1
沖縄ツアー その2
沖縄ツアー その4

by hara-noriko | 2016-04-14 23:25 | 活動日誌 | Comments(0)

沖縄ツアー その1   

歴史と現在を見るオリジナル企画
 今回のツアーは、沖縄に実際に行った方が中心になって計画をつくってくださった、まったくのオリジナル企画。資料も手づくり、移動も自分たちで。たった3日間で沖縄の歴史や現在がみえてくる、すばらしい内容でした。企画し準備してくださった方に心から感謝…です。
沖縄戦の激戦地へ 普天間基地が見える
 初日に、まず、宜野湾市の嘉数高台公園へ。沖縄戦の激戦地で、日本軍が使用した「トーチカ」(拠点)が今も残っています。「写真1」は、軍人の出入り口。中は3名ぐらいが入れる広さ。向うに少し見える四角い穴から機関銃を出して、米軍を攻撃したそうです。
 展望台に上がると、米軍普天間基地(写真2)が見えます。住宅のすぐ向うが基地。オスプレイが薄気味悪いです…。
嘉手納空軍基地
 その後、道の駅「かでな」へ。米軍嘉手納空軍基地(写真3)の広さは東京ドーム420個分、日本最大級。「かでな」の展望場から全体を見渡せますが、写真に納まりきれません。
 3階には学習展示室があり、嘉手納町と基地の関係がよくわかりました。展示のなかには、「基地の重圧」(写真4)というパネルがあり、嘉手納基地にかかわる事故や事件がどれだけあったか、克明に記されています。1955年の由美子ちゃん事件からはじまり、その数の多さ、深刻な内容に胸がしめつけられます。こういう危険と隣り合わせの毎日なんですね…。
想像以上だった戦闘機の騒音
 また、ヘッドホーンで戦闘機の騒音をジェット機やトラックと聞き比べることができるのですが、戦闘機の音の大きさは想像以上で、とても最後まで聞けませんでした。町民の人たちが、長年たいへんな苦労をしながら暮らしていることを実感します。

(写真1)嘉数高台公園に残る軍の出入り口
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(写真2)普天間基地。オスプレイが見える
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(写真3)嘉手納基地
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(写真4)学習展示室にある「基地の重圧」パネル
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沖縄ツアー その2
沖縄ツアー その3
沖縄ツアー その4

by hara-noriko | 2016-04-11 01:00 | 活動日誌 | Comments(0)